140909 ブラックからブラウンへ

こないだインターネットである文章を読みまして。

ブラック企業という言葉は人種差別用語である」(東洋新聞)
http://toyokeizai.net/articles/-/46755
という文章があった。

まぁ、予想できる通り、ホワイト・ブラックで区別するのはおかしいのではないのかという内容だが、
そこで思ったのは、そこで差別に繋げるのはどうかと。
さらに読み進めて行くと、ホワイトがいいものでブラックが悪いものという認識はどうなのかと、いうのが筆者の主張であったので、たしかにと思った。
ブラックが悪いもの・・・だから黒人が悪いと言っていると言われても何も言えないのではないか。

しかしよく考えてみると、キリスト教の絵画などを見ていると、天使は明るい白に近い色が多く、悪魔は暗い黒色が多い。
それはやっぱり光の明暗から来ているものと思われ、明るい・見えるということに対して暗い・見えない(隠れたりできる)ということ、そして暗いときに悪いこと・犯罪などが主に行われることに繋がり(悪いこととか倫理観の話はまた別の話になってしまうが)、明⇔暗=善⇔悪となるのではないだろうか。何千年もの人間の歴史に根付いたこの白黒のイメージというのは簡単に変えられるものではなく、だからブラックは人種差別であるという認識に関しては少々疑問符を打ちたいところがある。

ブラックが人種差別である前に、我々アジア系の人々は黄色人種と呼ばれ、所謂西洋系は白人、アフリカ系(もちろんアフリカだけではないけれども)は黒人という言い方があって、だったら白人も差別用語なのかというとそれはどうなのだろう。部類分けの問題であって、ユーラシア系オセアニア系…という部類分けも差別なのか?
黒人・ブラックという呼び名に歴史的な屈辱から来る差別意識がもし彼らにまだ残っているなら、色で人種を部類分けするときにブラックではなく、ブラウンに変えるのはどうだろうか。黄色人、白人、茶人。ふざけているつもりはなく、そういう言い方の方がまた新しい人種の部類分けができるし、そっちをブラウンにしてしまえば、
ホワイトとブラックという言葉も自由に使えるだろう。



さて、話は変わり学期開けまであと一週間と二日。明日起きると一週間と一日なわけだが、
最後の一週間ぐらい本気でダイエットしてみようかという話になりまして。
明日から一日目始まります。
生活リズムの調整も兼ねて朝起きてジョギングするという単純なことであるが、これが続けるのが難しい。
とりあえず始めてみよう。